(2)将門の顔付き

   将門に関しては天慶3年10月(940)に書かれた「将門記」に数々の戦や死後に至るまでの出来事が描かれているが、その当時のものとして公の三女「如蔵尼」が将門の三十三回忌に父の姿を彫ったと伝えられている将門公座像が岩井の国王神社に御神体として祀られている。(写真は愛媛県歴史文化博物館「純友と将門」より転写)この顔を見ると厳めしい面構えであるが、新皇宣下をした頃の姿であろうか。
   時代を下がって江戸時代の浮世絵師一勇齋国芳の「美盾八競高殿落雁」の将門を見ると左のように描かれている。これは想像により平新皇将門と題されているように新皇を名乗り絶頂期にある将門を描いたもので、高楼の舞台上で将門が美女を側に侍らせ酒宴を催し空から舞い降りる雁を眺めているところ。(上掲「純友と将門」より転写)
   前掲将門公苑にある宮地寅彦の浮き彫り。弓の将門と言われる戦に望む将門を表している。