(8)その他将門遺跡 その他の地域
福島県耶麻郡 磐梯町 
恵日寺 如蔵尼の墓
 
将門が寄進したと伝えられる山門が残る旧恵日寺跡に如蔵尼の墓がある。如蔵尼は将門の三女として生まれた。将門の死後如蔵尼は会津に遁れて恵日寺の境内であるこの地に庵を結び生涯を地蔵菩薩信仰にささげ80余才でこの地で入寂した。如蔵尼は瀧夜叉姫という呼び名を伝えられており、妖艶にも似た若く美しい日もあったと今昔物語に記されている。この墓は享和2年(1802)3月村人により建てられた供養碑である。(磐梯町教育委員会説明板)
 
 現恵日寺にある如蔵尼の墓  現恵日寺の墓の説明板にはまた別の言い伝えが記されている。将門の三女瀧姫は父の死後彼が信仰を寄せていた恵日寺の傍らに小さな庵を結びひっそりと暮らしていましたが持病で命を落とし、父の罪業の為に地獄に堕ちますが地蔵菩薩の加護により蘇ります。仏縁に感謝した瀧姫は名を如蔵尼と改め地蔵菩薩に帰依し長寿を全うしたと伝えられる。如蔵尼の墓と刻まれたこの碑は会津藩の儒学者安部井澹園が元享釈書の記述をもとに草したもので享和2年(1802)に建てられた。
旧境内の墓と似たようなところもある説明となっているが見た感じでは旧恵日寺の方が古そうに思える。